7月10日の泡

昨夜から実家のおうちにお泊り。いとこの「はー(5歳)」と「けっけ(7歳)」がいる実家。むーの大好きな場所である。
泡子にとっても、実家なのでなにかと世話になっているし感謝しているが、やっぱり自宅の気楽さを思うとね。みんなで住むって、いろいろ気をもむ。

今朝、はーが紙で作ったお金をくれた。

「はい、あわちゃんには100円ね。」

そこで思う。お金って本当な、本当に紙切れなんだなぁと。手作りのお金はただの紙だから、この紙を引き換えにものを手に入れることはできない。
でも、紙幣ならできる。ただの紙なのに…。

紙幣には、価値がある。ほかの紙にはない、価値があるんだよなぁ。紙幣って、人間が決めた取引方法。人間界だけに通用する、引き換え券。この(たかが)引換券のために、人を殺してしまう人がいたり、自然を破壊し続けたりしている。
システムはいつも危ういバランスで成り立っているなぁ。などと、はーとのやり取りの中で思考する。布団に転がりながら。

お金を得ることができるということは、それだけ「交換できる対象」が増えるということだから、紙幣は自由につながっていると思う。シンプルに考えて、お金は必要だ。そして、使い方にこそその人の人生観が表れている。