9月6日の泡

「貧乏」というワードに動揺してドキドキしてしまう。

貧乏とは、財産や収入が少なく生活が苦しいこと。貧しいさま。貧困より生活には困窮していない。俗に金欠と言われる場合がある。

いまのわたしは、生活に余裕がない。苦しくはないけど、貧困ではないけど、十分な自由はないと思う。

そうか、わたしは、貧乏なんだ…!
しかも、貧乏はいやだ…!

これじゃあ、以前母に言われた「不憫な子」そのものじゃないか。やばい。こんな自分は好ましくない。

で。
インスタや、タイの物件などを見ながら、近づきたい未来像を具体的に想像。

近づきたい未来像が、何かというと、

  • プーケットの日本人補習校に、むーを通わせる。現地校(EPクラスありのところ)と補習校で言葉を育てて、むーの日本語仲間を作る!
  • 月15,000Bくらいの家(プール付き2ベッドルーム)に住む
  • 2023年11月、月20万円をパソコンで稼げるようになる。

これなのです。

2022年8月28日の泡

すっかりご無沙汰。日々のことをつづるのが、面倒くさくなってしまって。

とっても疲れている感じがするので、明日(月)は有給を取り一人メンテナンスデーを設けた。もう昨日も今日もものすごく心がわくわくしていて、できるだけ明日になって欲しくなく、夜更かししてる。

やるべきことをやりたいはずなのに、毎日寄り道してしまう。

あまりにも寄り道だらけなので、そろそろあきれてきてしまってる。

夢をかなえる人生にしたいって思う。

12月15日の泡

ここ数日、とんさんからの連絡が途絶え気味で、気持ちが落ち着かない。

不安な思いを感じながら、いろいろな事を考える。
ものすごく困っているのだろうか?制作に没頭している時期なのだろうか?それとも、気持ちが離れてしまったのだろうか?

私がとんさんへの連絡が途絶え気味だった時は、あえてメールを見なかったり電話にでなかったりしていた。距離を縮めることが怖かったし、人を心から信用することが怖かった。「一緒にいないのだもの、好き勝手やっててもおかしくない、タイ人だし。」ってあきらめていたかった。

とんさんは、不安な気持ちを感じていたのだろうか。
「わかちゃんはいつも連絡つかない、電話に出ない。」って、言っていたな。
逆の立場になって初めて、連絡はちゃんと取り合おうと思える自分が嫌になる。遅すぎる。

過去に気持ちを持っていかれると、心ここにあらずになり、今を生きる感覚がふわふわしてわからなくなる。
いけない。自分のことに集中しよう。

 

12月5日の泡

朝起きてスマホを見たら、とんさんからメールが来てた。お誕生日メッセージ。
コロナで収入が減って厳しいはずなのに「もうすぐお金が入るから、そしたらプレゼント送るね。」だって。単純に言葉で喜ばせようとしてくれているのだから、「ちょっと嬉しいな」みたいなこの気持ちが、彼からのプレゼントだと思おう。

ま、物のプレゼントはないと思うから忘れとこう。

誕生日が日曜日。どう過ごそうかなって考える。スペシャルな日なのだけど、何かしてもらう気になれない。逆においしいご飯やお酒をみんなに振舞いたい。

12月3日の泡

自分の仕事をする、という言葉に尽きる気がする。

私の仕事…私ができることに集中する、ということ。周りに気を取られすぎず、過去に気を取られすぎず、今の自分の足元に広がる地面を、しっかりと踏みしめて歩くこと。

 

8月29日の泡

ついに今日、ハンドパンが手元に届く。レンタルだから1か月間限定。
レンタル後の購入も可能だから、どうしてもの時は購入する予定。

ただ、高い。

とんさん(タイ人夫)のホームページを早く作らなければ。一度手をつけるとどんどん進むのに、手が離れると勢いが凪いでしまい、止まる。

止まり続けて1年くらい。
そろそろ、作りたい。

8月28日の泡

人間関係は難しい。
時に、本当に難しくて逃げ出したくなるほど…。
できれば、人間と揉めたくない。揉めたくないのであれば、できるだけ受け皿を広くするしかない。何があっても受け流せる、こだわりの無さ。

自分が誰かに迷惑をかけていることが原因なら、自分を改めることができる。
でも逆に相手に迷惑をかけられているとしたら、選択肢は二つ。逃げるか、受け流すか。逃げれるのなら幸いで、逃げられない人間関係ならば、それはどれだけ辛いだろうと想像する。

逃げられないって…辛い。
限りなく逃げづらいのも…辛い。
でも、そういうことって事前に気づきにくかったりする。よほど慎重に事を進めていかないと、避けられない。
(例えば、二世帯同居とかはまさにこれだ)

ということで、「(可能な限り)受け流せるメンタル」「こだわりの無さ」こそ、幸福感に直結している気がする。

問題の最中にいると、どうしても神経質になってしまう。その問題ばかりに気をとられてしまい、欝々と過ごしてしまいがち。

そういう時、自力で適当に受け流して「ま、これはこれで。」ぐらいでいられれば、楽だ。

楽に生きるのも、戦略。

8月17日の泡

迷走中。

人生において、行動力って本当に大切だ。行動力こそが大切。わたしはそれを、30代に突入してから初めて見にしみてわかった。
20代のころは、自然にフツウに行動していた。独り身だと守るものがなくて行動しやすかったのかも。フットワーク軽く、攻めの姿勢でいることが気持ちよかった。

今は、守りのマインドが優勢なのかも。母になり守る人ができてから、フットワークの軽さは劣勢になった。

そう。わたしは行動できない状態に長いこと悩んでいる。
行動できない。思ったように行動できない癖が染みついている…!

そんな今のわたしが思う、子どもに伝えたい『生きる上で大事なこと』

  • 行動力
  • お金の教養(お金についてのイメージ構築、お金って何?使い方など)
  • 考えて、「自分の答え」を持つこと。(たとえ共感してもらえなくても。それは自分自身の納得感のため。)

 

7月28日の泡

時間が経つのが早い。もうすぐ8月。

さて、東京オリンピック。一昨日は卓球混合ダブルスの決勝戦があり、夜9時から家事の合間にちらちらとテレビを見る。水谷選手と伊藤美誠選手、押され気味だったのにどんどん追い上げて、あと1ゲームで金メダル…のところで、むーの眠気、限界。眠たいむーを寝室へ連れていく。寝付かせて、テレビの前に戻ると、金メダル獲得していた。

なんといっても伊藤美誠選手の見ごたえ。試合中の勝気でクールな目線と、試合後の笑顔のかわいらしさのギャップ。肌がツルツルしすぎてないところもいい。顔中の汗を豪快に拭き上げる様も、とてもいい。

昨日、歯に行く。歯の汚れをすべてとってもらい、すっきり。

フィンランドなんかでは歯の健康に対する意識が高いんですよ。歯磨きの後、うがいをしないで唾をペっと出すだけなんです。うがいをするとフッ素が流れ出てしまうので。」

歯磨きの後のうがい、無し…うげぇーーー。

と思いながらも、歯を大事にしようと考え、高濃度フッ素入りの歯磨き粉を買って帰る。うがい無しはむりだけど、「本磨き(うがいつき)」⇒「フッ素磨き(うがい軽く1回)」という二段階で使おうと思って。

 

7月12日の泡

時々、思い出す、「リシケシの川沿いで感じた感覚」について。

数年前、27歳くらいの時、インドに行った。期間は3ヵ月。
リシケシはインドの北にある町で、ヨガを人生に取り入れている人にとってはわりと名の知れた土地だった。
私も当時興味深くヨガの知見を深めていて、インド滞在のラスト1ヶ月は全てリシケシで過ごした。

その時の私はインドにチューニングを合わせていて、入国してからほとんどベジタリアンな生活をしていたのだけど、今思ってもかなり感覚が研ぎ澄まされていたと思う。

「リシケシの川沿いで感じた感覚」とは、平たくいうと「調和」なのだと思う。
散歩かなにかをしていて、なんとなく川沿いに座りたいと思い、岩かなにかに座ったんだっけ。呼吸して軽い瞑想をしていた時、ものすごく自然に涙が出た。
息を吐くと、その息が空気に溶けて浄化され、息を吸うと新鮮な空気が肺に広がり、体が生存できている。という事実にものすごく感動したのだった。

「つながっている。」という事実に安心した。わたしは1人だけど、決して孤独ではないと信じることができて、経験としてそれがわかった。この衝撃は、大量の涙となって記憶に刻まれた。

地球は宇宙に存在してるので、地球に存在してる私たちは、大きく捉えなおすと宇宙の住人なんだなぁと妙に納得した。

わたしはただ一つの波なのだなぁ、と思った。

そして、波は、影響を受けて形を変えては、影響を与え続ける。

自分を「点(小さくて固い感じの存在)」だと思うとつらいことも、「波(形がなくて揉まれてる感じの柔軟な存在)」だととらえると力が抜ける。