7月12日の泡

時々、思い出す、「リシケシの川沿いで感じた感覚」について。

数年前、27歳くらいの時、インドに行った。期間は3ヵ月。
リシケシはインドの北にある町で、ヨガを人生に取り入れている人にとってはわりと名の知れた土地だった。
私も当時興味深くヨガの知見を深めていて、インド滞在のラスト1ヶ月は全てリシケシで過ごした。

その時の私はインドにチューニングを合わせていて、入国してからほとんどベジタリアンな生活をしていたのだけど、今思ってもかなり感覚が研ぎ澄まされていたと思う。

「リシケシの川沿いで感じた感覚」とは、平たくいうと「調和」なのだと思う。
散歩かなにかをしていて、なんとなく川沿いに座りたいと思い、岩かなにかに座ったんだっけ。呼吸して軽い瞑想をしていた時、ものすごく自然に涙が出た。
息を吐くと、その息が空気に溶けて浄化され、息を吸うと新鮮な空気が肺に広がり、体が生存できている。という事実にものすごく感動したのだった。

「つながっている。」という事実に安心した。わたしは1人だけど、決して孤独ではないと信じることができて、経験としてそれがわかった。この衝撃は、大量の涙となって記憶に刻まれた。

地球は宇宙に存在してるので、地球に存在してる私たちは、大きく捉えなおすと宇宙の住人なんだなぁと妙に納得した。

わたしはただ一つの波なのだなぁ、と思った。

そして、波は、影響を受けて形を変えては、影響を与え続ける。

自分を「点(小さくて固い感じの存在)」だと思うとつらいことも、「波(形がなくて揉まれてる感じの柔軟な存在)」だととらえると力が抜ける。