7月10日の泡

昨夜から実家のおうちにお泊り。いとこの「はー(5歳)」と「けっけ(7歳)」がいる実家。むーの大好きな場所である。
泡子にとっても、実家なのでなにかと世話になっているし感謝しているが、やっぱり自宅の気楽さを思うとね。みんなで住むって、いろいろ気をもむ。

今朝、はーが紙で作ったお金をくれた。

「はい、あわちゃんには100円ね。」

そこで思う。お金って本当な、本当に紙切れなんだなぁと。手作りのお金はただの紙だから、この紙を引き換えにものを手に入れることはできない。
でも、紙幣ならできる。ただの紙なのに…。

紙幣には、価値がある。ほかの紙にはない、価値があるんだよなぁ。紙幣って、人間が決めた取引方法。人間界だけに通用する、引き換え券。この(たかが)引換券のために、人を殺してしまう人がいたり、自然を破壊し続けたりしている。
システムはいつも危ういバランスで成り立っているなぁ。などと、はーとのやり取りの中で思考する。布団に転がりながら。

お金を得ることができるということは、それだけ「交換できる対象」が増えるということだから、紙幣は自由につながっていると思う。シンプルに考えて、お金は必要だ。そして、使い方にこそその人の人生観が表れている。

7月6日の泡

朝の支度中、洗面所に歯を磨きにいってたムーから報告。

「ママ、洗面所の鏡、磨いといたよ。」
「お、ありがとう。きれいになった?」
「なった。手で磨いたの。手と水で。ベロではやってないよ。」

コロ騒ぎで予定が立たないけど、早ければ来年の秋にはタイに行こうと考えてる。タイに移住。荷物などどうするか、今から気が重い。
移住まで1年。やることは2つ。
経済面の潤い、言語能力。

ムーはニオイに敏感で、いつもトイレがくさいくさいと言ってる。自分の排泄物のにおいが嫌なのだそう。わたしはトイレ芳香剤全般の強い香りが苦手で、ほとんどのものがどうも合わない。どうしようかと考えた末、便器の中に花の形のジェルをくっつけるのを買ってみた。使ったことないし、香りが強くなさそうな気がして。
そしたら大丈夫だった。
泡子、合格。

ムー「わっ。トイレ…めっちゃいいにおい…。」
ムー、合格。

 

6月28日の泡。

熱い日差し。夏のよう。

昨日、息子のむーの仲良しの友達「あっくん」の家に遊びに行く。はじめて、保育園以外の場所で遊ぶので、むーは少し緊張気味。わたしも、はじめての場所に行くので緊張…しっかり身支度する。

コンビニで思い思いにお菓子を買って、あっくんの家に。

あっくんの家はほどよい大きさで、静かな場所にあって、気持ちいい空気が流れていた。リビングでくつろぐ。あっくんのお母さんとぽつりぽつり話す。子どものことや、家のこと、生い立ちのことなど。

こういう時、わたしはふわふわした雰囲気になりやすいので、昨日はすごく気を付けた。落ち着いて地に足を付けていられるように、慎重に言葉を選んで会話をした。
あっくんのお母さん。表情が美しい。姿勢もいい。なにより、パートナーとの間に流れる空気が良い。お互いを信頼しあっている様子で。

安定した人間関係が醸し出す雰囲気って、あると思う。その場所も安定する。

 

6月23日の泡 しっとり雨

雨。空気がしっとり。全部濡れてる。

朝、家を出て車に乗り込むとき、むーが紅葉の葉っぱがたくさんついた枝を持っていた。
「車にのってー。はやくしてー。」
「これも乗せていい?」
「うーん。だめかな。濡れてるから、ここに置いて行って。」
名残惜しそう。考えてる。わたしは急いでる。雨だから、道路混んでるかも…はやくはやくはやく…
「お願い、置いて行って。」
「えー。…うん。」

そして、むーは手を離す。紅葉が地面にふわっと着陸。

後部座席に座るむーから、納得いってないかんじが伝わってくる。諦めたけど名残惜しいかんじ、健気だ。濡れてる紅葉くらい連れてきてもよかったかも…とぼんやり思う。

「わたしはさ、朝の自分が一番きらいかも。急いでると嫌なお母さんになってるよね。」
「うん。」
「どうしてこんなに焦ってるんだろ。」
「ママが仕事に遅れるからでしょ。」
「そう、遅れるのが嫌なの。遅れそうなのが。」
「ぼくの保育園は何時でも大丈夫だから、急がないよ?」
「いいな。お母さん、仕事辞めちゃおっかな。…んー、支度を始めるのが遅いのも悪いか。」
「ママ、支度始めるの早くしよ?」
息子の一言で解決。支度を始めるのを早くして、焦らない朝を実現したい。

6月22日の泡。今日から書きます。

はてなブログ。ここに書くことにしました。

日記を書こうかな、と思って、以前みたいにノートに書くつもりだったけど、気分が変わってブログにしました。ぱあっとひらけた場所に日記を書こうと思って。

毎日眠って、起きて、食べて、働いて、というフツーの営みの中に、本質的で神聖な感覚があったりする。それはものすごいひらめきだったり、腑に落ちる感覚だったりする。

そういう本質的な部分を、ちゃんと表現したら、誰かに届いて共鳴するのかなって。実験みたいなもの。それも超長期的な。なが~く、ほそ~く、時々しおれたり持ち直したりしながら。

「泡とアート」というブログ名は、車を運転してる時、ふっと出てきたからこれにした。毎日って泡みたいだよね。あれっという間にパチンと消えるし、すぐ忘れちゃう。そういう日々の泡のはじっこをつまんで、このブログに入れておく。泡の集まりを遠くから眺めると、ちゃんと形になっている。泡の集合体をいろんな角度から眺めたりして、ちょっとの間そのアート作品を楽しむ。そういう記録。

イラストとかも入れたい。
表現。表現したいっていう欲望なのかも、これは…

6月上旬から予約待ちしているハンドパン。まだ連絡がこない。6月下旬から7月上旬に入荷予定らしい。今はまだ下旬に突入したばかりだし、もう少しかかるのかも。

楽しみに何かを待つ、というのは良い。むしろハンドパンが届くまでが、一番の盛り上がりどころだったりして。

ハンドパン。魅惑の打楽器。

ハンドパン。魅惑の打楽器。

とてつもなく長い目で物事を見るって大事。
とてつもなく、長い目。
そうすれば、がっかりしそうになったり損した気になったりしても、気にならない。
だってとてつもなく長い目なんだから、このがっかりがちょっと先のちょっといいことにつながってるかもしれないから。

例えば、ランチに入ろうとしたお店が定休日で、本当に本当にがっかりしたけど、代わりに「エイっ」て入ったお店がものすごく美味しくてものすごっく居心地がよかった。最高だ。とか。